立憲主義と集団的自衛権

客観的な尺度がない多様な相互に両立する価値観・世界観を認め人間らしく平和な社会生活を送ることが出来る社会のあり方を基本とすべきだという考えによって、生まれたのが近代立憲主義である。
 この立件主義では、公と私を区別することを提案し、「私」の領域においては、表現・思想の自由等の基本権を保障し、「公」の領域においては、社会全体の共通の利益確保、費用負担のために、報道・取材・結社の自由・参政権等を保障し、民主政治の統治機構を総合的に定めることを目的としている。
 選挙等でたびたび起こるえる多数派・少数派の変転やたまたまトップの偏向した個性に乱されることなく、全てのメンバーが、中長期的に守っていく基本原則を、短期的な利益・感情によって、普遍的な理念を変更されないようにしている。このような憲法を「硬性憲法」と呼ぶ。殆どの先進国は採用している。
 改憲条項を盛り込むことによって、普遍性を担保している。が、民主主義・平和主義・人道などの普遍的理念は、価値観・世界観の意味を公平に扱う改憲には限界がある。
 次に、紙面の都合上、憲法第9条について、大まかに記してみたい。第9条第1項では、武力行使を禁止している。厳密に言えば、武力行使が許されるのは、個別的自衛権の行使、つまり、緊迫した侵害があり、他に適当な手段がないときのみで、これは自然人にアプリオリに備わった正当防衛権と同じものであろう。
政府の集団的自衛権閣議決定は、論理的整合性と法的安定性を従来の見解どおり満たすとしたが、他国を防衛するために武力を行使することは全く本質を異にしており、論理的整合性の論拠にはならない。法的安定性については、何ら語ることがない。仮にアメリカが攻撃されたがために、日本の存立の危機が生じた時には、アメリカを集団的に防衛する権利を行使できるが、それはあくまで、日本防衛の目的のためだけだということになる。   
集団的自衛権の本質は、自衛ではなく、他衛である。
地球の裏側まで自衛隊を派遣しようとする政府の意図に、常人の理解を超えた異様な乖離が存在すると思うのは私だけだろうか?
 昨年秋臨時国会を開かなかったということは、明らかな政府の違憲行為であり、近代立憲主義を遵守していない。自民党改憲草案にさえ同内容の規定が存在する。自らの草案を破る現政府は信頼たり得るのだろうか?
 政府は立憲主義を崩壊させた上で、違憲な法案を、「人間かまくら」で強行採決したのである。特定秘密保護法案・安保法案の際、「国君に丁寧に説明する」と言った総理。丁寧に説明があっただろうか?国民を著しく愚弄している。
他にも、NHKを初めとする、報道の自由の抑制(国会中継をしない・特定の議員の質問を打ち切る・公的年金の運用損失・海外での血税の過剰投資等・共謀法)により、世論形成を有利にはかる偏向報道など、不合理で不合理ななことは枚挙にいとまがない。YouTubeで「人間かまくら」で検索されたい。
 私は提案したい。現政権での憲法改憲は許される行為ではない、と。
安全関連法は、アメリカの戦争の下請けとして、世界中で武力を行使し、後方声援をするための法であることは、明白であるからだ。
 憲法違反までして、アメリカに隷属の必要性があるだろうか?
 私は、一市民であり、「えひめ勝手連2,016」のメンバーである。参議院選及び衆議院選で野党共闘を促進して勝つためにキャンペーンを張っている。インターネットを利用して下記のブログまでアクセスされたい。
http://blog.goo.ne.jp/e_katteren  一部引用
安倍自民党改憲派ナチスを見習う
憲法違反を無視してまで、強引に安保法制を通過させた安倍自民党政権改憲に対する思いは強く、その手法は私たちに気づかせない巧みな方法で進められています。その動きはもう、ずっと以前から・・・
東京新聞 2013年7月31日≫
改憲ナチス引き合い 麻生副総理、都内講演で」麻生太郎副総理兼財務相は29日夜、都内で講演し、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及する中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気が付かない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。
 最後に.現在議論されている、「緊急事態条項」が盛られようとしている。(ナチスドイツの「全権委任法」と同等)
 ヒットラーは、数日で独裁体制を作った。
 私見だが、現政権は、緊急事態条項によって、軍事独裁継続政権を狙っていると考える。